(注)普化宗
 中国唐代の普化禅師を開祖とする臨済宗の一派。日本へは建長元年(1249)に宋に渡った東福寺(京都市東山区)の「覚心」が、建長6年(1255)に伝えた。その法孫の金先(金全)は北条時頼(1227〜63)の帰依を受け、下総小金に「一月寺」を創建し本寺とした。13世紀末、天外明普は、この派からでて「虚無宗」を開き京都白川で尺八の吹奏による禅を鼓吹した。この後虚無僧として全国を遍歴修行する風を生じた。江戸時代には浪人の多くがこの姿をとり、弊害が生じたので天保年間(1830〜44)宗派としての特権を剥奪された。明治4年(1871)普化・虚無の両宗は は廃止され、明暗・普化・法灯(ほっとう)などの教会として再発足した。
 ※虚無僧
 薦(菰=こも)僧。普化僧とも。禅宗(臨済宗)の一つ。普化宗の僧侶。多くは有髪で僧衣は付けず袈裟をかけ、深編み笠をかぶり、尺八を吹いて布施を請うて廻った。「徒然草」にみえる「ぼろ」「ぼろぼろ」は、虚無僧といわれ、その頃から活躍し、明治4年(1871)普化宗の廃止後は急減した。