(注)伝説「泣き子地蔵尊」
(1)現地説明板
 舞阪の漁師がこの地にあった地蔵尊を持ち帰ったところ、泣いて元の地へ戻すようにお願いしたので、不憫に思い元の地へ返したといういわれのある地蔵尊の跡です。この地蔵尊が当地区「成子町」の語源となりました。

(2)「成子町のいわれ」 「広報はままつ」昭和33年1月5日 第78号
「今は昔、成子の坂は木立が生い茂り昼も暗いほどで、日が暮れるともう通る人も稀でした。その頃、この寂しい坂を登りつめた所に「石の地蔵様」がお立ちになっていらっしゃいました。雨にうたれ風にさらされたお姿は、いかにも穏やかで、朝に夕べに香華の絶えることがありませんでした。ある寒い晩のことでした。早くから人たちは、戸を閉めて寝てしまいましたが、夜もすっかり更けた頃です。どこからか子供の声が聞こえてきました。「こんな寒い晩に…」「それにこんな夜更けに…」「不思議なことがあるもんだ」「どうもお地蔵様のあたりらしいぞ」近くの人たちが誘い合わせて、地蔵様の前に参りますと、生まれたばかりの子供が泣いているではありませんか」「まあ!かわいい子」「それにしてもよく凍えなかったものだ」「これもお地蔵様のおかげにちがいない」。そこで、人々は子供を引き取って、皆で育てることになったと申します。そして、昔話にちなんで付けた町の名が、今の「成子町」だといい伝えています。

(3)「成子町の泣き子地蔵」 「広報はままつ」昭和35年3月5日 第133号
 それはある年の寒い冬のこと、強い西風に吹かれながら、一人の漁師が天秤棒をかついで浜松へ商いに行きました。「こうして浜松まで商いに来たのじゃが、今日は片方の魚しか売れない。これでは釣り合いがとれなくて困ったことじゃ」と独り事をいいながら、ふと傍らを見ると、石の地蔵様が立っていました。「これは良いお方がござった。お地蔵様。ちょっとわしのカゴに乗ってくだされ」そう云うと、空の方のカゴにお地蔵様を乗せた漁師は、ゆらりゆらりカゴを揺りながら、我が家に帰りました。さて、その夜のこと漁師の家の戸をトントンと叩くものがいました。「はて、今頃誰が訪ねて来たのじゃろう」と、不思議に思って戸を開けると、そこには昼間のお地蔵様が立っていました。そして「わしを元の所へ返しておくれ。たのむ、たのむ」と涙を流しているではありませんか。そこで早速、元の所へお返ししました。それからこのお地蔵様を「泣き子地蔵」と喚びましたが、後に「成子地蔵」となり、「成子町」の名が起こったということです。