(注)大田備中守資宗(在城期間1644〜71)
   資宗は武蔵国生まれ、小姓組頭、書院番頭から松平信綱(1596〜1662)らと幕府六人衆(後の若年寄)になる。寛永18年(1641)に「寛永諸家系図伝」をまとめた。これは徳川一族や家臣団の系譜を調べるのに便利で貴重な資料になっている。日光山の普請、鳳来寺の造営奉行。寛文11年資次に家督を譲り隠居。延宝8年(1680)81歳で死去。田方郡妙法華寺に葬られた。室は京都所司代板倉周防守重宗の女(むすめ)。江戸送り地蔵で知られる安泉寺は資宗が創建したといわれる。