(注)徳川家達(1863〜1940)
   公爵、幼名亀之助。1868年徳川慶喜が隠居謹慎した際、田安家から入り、徳川宗家を相続。駿府を居城に70万石を領有。翌年版籍奉還によって静岡県知事となる。帝国議会開設とともに貴族院議員となり、1903年〜33年の間議長をを勤めた。その間1921年~23年ワシントン会議の日本全権となり」、また日本赤十字社長・済生会・慈恵会などの会長になった。昭和6年(1931)3月不況克服を祈念し、商工都市浜松の紹介と発展のため55日間、全国産業博覧会が実施されたが、名誉総裁は徳川家達であった。