注)藩校(藩黌・藩学)
   江戸時代、諸藩がその藩の子弟を教育するために設立経営した学校。浜松では1816年水野藩が経誼館・1846年井上藩が克明館を開設した。
   藩校の教授内容は、時代により変わったが、主として漢学と武芸を教授し、ほかに習礼を授け、幕末から明治維新にかけては洋学や医学を教授する所も多くなった。漢学では「寛政異学の禁」(1790)の影響で朱子学を教授したが、やがて折衷学に移り学者は藩士の子弟に限られた。
   明治維新後は、静岡学問所のように四民に門戸を開放した藩もある。明治初年転封や廃藩置県により消滅した。