(注)水野藩の「経誼館」
   水野忠邦(1794〜1851)が前任地唐津の藩校「経誼館」の名称をそのまま使用した。其の設備については「館を地域に修め、聖廟・文学・講道の院・栖士の寮より、弓・銃・刀・鎗・練兵場に至るまで悉く備わる。館督・学監・銃計・佐監あり、以て其の務を管す。掌教・佐教・訓導・授読・各種芸師あり、以て其業を教ふ」とあり、また学生心得として、読書の旨趣の領得。文武一致。礼節や分を守ることを説いている。