(注)井上藩の克明館
   大阪の蘭学者・賀古谷公斎の「克明館記」には「遠江の浜松に、学あり、名づけて克明館という。邑の高処に在り、市街を下瞰す、下より仰望すれば粉壁映射す。巍然として城櫓の如し。その間は則ち斎堂・講堂・棲士の寮・蔵書の庫より、剣槍・弓銃・練兵場に至るまで皆備わる……」。克明館の語は克く俊徳を明にすという語より「克明」の二字を選ぶ。」
   校則は、「講義毎月6回、輪読毎月12回、詩文毎月6回、筆話寄宿生毎日」とあり、寄宿生は「定員20人、通学生定員なし」とある。
        「静岡大百科事典」 「浜松市史」(二)