(注)堀江藩と大沢基寿
  明治時代初期、敷知郡堀江(浜松市西区舘山寺町堀江)に4年間置かれた小藩。1868年(明治元年)9月旗本大沢基寿は、明治政府から一万石の大名(華族)として認められ、1869年堀江藩知事、1871年7月には堀江県知事となった。しかし実際には表3500石、実5500石(敷知郡16村・豊田郡1村・山名郡1村)に過ぎなかったが、浜名湖埋め立て予定地を併せて1万6石と虚偽の報告を行った事が露見し、基寿は士族に格下げ、禁固1年、虚偽の申告をした家臣は平民に格下げ、禁固1年半に処罰された。(「万石事件」)
  1871年11月の新県設置により、堀江県は浜松県に合併され、
 藤原道長の子・頼宗から12代目の藤原基寿を祖とする初代大沢基秀から20代基寿まで、大沢氏による約500年にわたる支配は幕を閉じた。大沢氏の墓は宿廬寺(浜松市西区庄内町)にある。
  「静岡大百科事典」・「ウイキペデイア」百科事典 参照