(注)原田浜人(ひんじん=1884〜1972)
 俳人。本名八郎。浜名郡長上村原島(浜松市東区原島町)生まれ。広島高等師範学校(広島大学教育学部の前身)卒業後、諸県の中等学校(学制改革後高等学校)に勤務。静岡県では旧制沼津中学校(現沼津東高校)浜松第一中学校(現浜松北高校)に勤めた。大正3年(1914)「ホトトギス」に入り高浜虚子(1874〜1959)の「花鳥諷詠」説にあきたらず、1938年脱退。1939年俳誌「みずうみ」を創刊し主宰、「物心一如」を信条とし、多くの門弟を養った。1922年以来沼津・浜松に住んだので県内各地に句碑が建てられた。
 ○「初御空月影ながら青み来し」  富士市岩本山公園山頂
 ○「暁を待つ冨士化(け)の如し時鳥(ほととぎす) 富士宮市県営冨士養鱒場
                         入口
 ○「夏雲は湧き諸瀧は鳴りに鳴る」 富士宮市原 「白糸の滝レストセンター」前

 ○「玉磨(す)りていにしへの日は永かりき」  沼津市香貫山香陵台より下がった路傍
 ○「籠坂の月代遅し谷の虫」       駿東郡小山町籠坂峠竹の下
 ○「秋惜しむ松に夕日や舘山寺」    浜松市西区呉松町大草山山頂
 ○「夕蝉のふるさとに著く俥かな」  浜松市北区三方原町三方原霊園
 ○「鴨すでに一連とぶやそこの空」  浜松市西区舞阪町弁天島 魚藍観音前
 著書に「定本浜人句集」・「浜人随筆」。静岡県文化奨励賞受賞。

    「静岡大百科事典」P667及び「ホームページ」参照