(注)貴船神社の西洋型帆船模型 
          静岡新聞(平成13年11月10日)
明治時代に遠州掛塚湊(磐田郡竜洋町掛塚)の回船業者が地元の貴船神社に奉納した西洋型帆船の模型が半世紀ぶりに修理され、日本マストの優雅な姿がよみがえった。模型は、船体の長さ2,5m、高さ2mのヒノキ造り・2本マストに14枚の帆を付け、船室二つを備えている。明治30年(1897)9月の同神社大祭で、地元有志が海上交通の安全を祈って奉納した。
東海道線開通(1889年4月)に伴う掛塚湊の衰退で、明治末期から約四十年間は神社の宝庫に眠ったままだったが、昭和25年(1950)
往時の海運業の様子を後世に伝えようと一回目の修理が行われた。
平成10年(1998)には町文化財にも指定されたが、修理から50年で帆は再びぼろぼろとなり、船首先端の一部が折れるなど傷みが激しくなった。神社や氏子は平成13年4月、焼津市大住の近藤和船研究所に再修理を依頼した。11月6日に修理は無事終了、模型は再び神社本殿内に転じされた。掛塚港の往時の繁栄ぶりが偲ばれる貴重な資料だけに、関正胤宮司(63)と氏子総代で町文化財保護審議会委員の大手四郎さん(73)は「今後も大切にしたい」と喜んでいる。
(注)貴船神社の扁額   山岡鉄太郎(鉄舟)の書  神社拝殿内
◆山岡鉄舟(1836−88)
 幕末の幕臣。剣客、通称鉄太郎。一刀正伝無刀流剣術の開祖。父は旗本小野朝右衛門。槍術の師山岡静山の家名を継ぐ。儒学・書・剣を学び、のち幕府講武所で剣術を指南。1863年清川八郎(1830−63)らと浪士組(新撰組の前身)を率いて上洛。1868年戊辰(ぼしん)戦争の際には、勝海舟(1823−99)に協力、駿府に西郷隆盛(1827−77)を訪ね、江戸開城のための「勝・西郷会談」への道を開いた。維新後、明治天皇の侍従。勝・高橋泥舟(1835−1903)と共に「幕末の三舟」と称される。