※豊島(としま)明重(あきしげ)(1579〜1628)
  正次・信満・主善正・刑部少輔・従五位下。徳川家の家臣。頼重の子。文禄四年(1595)家康から武蔵国富岡郷に千七百石を宛行(あておこな)われる。(充行・宛行=あておこない=所領や禄物を給与すること)慶長元年(1596)五月、従五位下主膳正に叙され、豊臣姓を授けられる。「大阪夏の陣」(1615)で使番(つかいばん)(若年寄に属し、戦陣では主命を伝え平時には遠国役人の監察使・国目付巡見使などを勤める。)を勤め、のち目付となる。寛永五年(1628)八5frdc月十日、江戸城内で老中井上正就(1577〜1628)へ刃傷(にんじょう)に及び刺殺される。50才。