(注)田沼街道
 田沼街道は、東海道(源国道一号線)藤枝と相良を結ぶ約28kmの道路で相良藩主田沼意次が建設したものである。当時は、東海道が唯一の街道で、島田と金谷に川会所という関所があって通行人を監視し、多の場所から大井川を越すことは厳禁していた。そのため、田沼街道は海岸沿いの住民にとって有り難い道路であった。田沼街道は、国道150号線の北側にあって、幅員は一間(約2m)程の道路で現在町内に残っている所は、大鐘家の門前の道路や、法京と大江に僅かに道跡が散見される。
 その道筋は、青島…上新田…大井川…相川村で大井川を越し、神戸を経て、能満寺山(吉田城)…の南側を通り堀之内(細江)…橋向から勝間田川を越し、道場、大鐘家から山の腰を通って平田村に至り、湊橋を渡って相良城に至る。別名相良街(海)道と呼ばれる。全長約7里(28km)といわれる。