(注)海の東海道 掛塚湊   「しおさい竜洋」駐車場入口に設置
  掛塚湊は、明治時代のはじめまで、天竜川の河口を利用した天然の湊であり、天竜  川の村々や、遠州の物資の集散地・交通の場として発展してきた。江戸時代には、幕  府の御用材・御用米を回漕し、掛塚湊を基地として、江戸・大坂各地の港との交流が盛 んに行われた。また、周囲には廻船問屋が立ち並び「遠州の小江戸」といわれ、人々の 暮らしを運んだ繁栄の湊でもあった。明治18年(1885)には、現在地より南東の場所 に、3年の歳月と2万円の経費を投じて新しい港が完成し、活気を帯びたが、東海道線 の開通(1888年4月=静岡〜浜松)と船舶の大型化により、次第に衰退していった。
  ここに「東海道歴史のふるさとづくり」の一環として、モニュメントを設置し、掛塚港    が海斧東海道の主要地点であったことを伝えます。
               竜洋町