(注)掛塚灯台について
@旧掛塚灯台(平成14年1月17日まで)
  明治30年3月25日初点灯以来今日まで現役という、全国に4700基あまりある航路標識の中でも60基ほどしかない明治時代の灯台の一つである。県内では神子元島灯台(明治3年11月初点灯)、御前崎灯台(明治7年5月初点灯)などに次いで古い灯台である。
現在は清水航路標識事務局が管理している。その前身は「改心灯台」は、旧幕府の幕臣荒井信敬が私財を投じて明治13年(1880)建設したものである。明治17年(1884)施設灯台廃止が決まったため「改心灯台」は、掛塚港を管理する「豊長社」の手に渡った。関係者は、灯台官設の願い状を提出し請願につとめ、ようやく明治29年(1896)念願がかなった。
       「竜洋町の史跡・文化財」 竜洋町教育委員会
A新掛塚灯台{平成14年3月12日初点灯}
  「掛塚灯台」は町のシンボル 「中日新聞」  平成14年3月13日
1月から進められてきた竜洋町駒場の掛塚灯台の移設工事が完了し、12日、灯台を管理する第三管区海上保安本部、静岡航路標識事務所や同町の関係者約50人が出席して若返り工事完成記念式典が行われた。
山下恭弘第三管区本部長は「新灯台は今日を新たな始まりとして末永く沖行く船を見守ってくれることを祈念している」と式辞。来賓の池田町長は「灯台は町のシンボルそのもの。町民あげて完成を喜びたい。」と挨拶した。
点灯式では山下本部長、池田町長ら4人が一斉にスイッチを押して新灯台に灯火をいれ、完成を祝った。
掛塚灯台は明治30年(1897)天竜川河口の東約1キロに建設されてから104年たち、鉄で造られた灯火下の中央部などの傷みが激しく、砂地に建てられていたため、東海地震が発生した場合、倒壊する恐れもあり、約800られていたため、東海地震が発生した場合、倒壊する恐れもあり、約800メートル西の竜洋海洋公園内に補強して移築した。
 新灯台は約9メートル盛土した上に移設され,地上からの高さは16、7メートル。水面からは17,6メートル。光度1万5千カンデラで、光は屋気宇24キロメートル沖合まで届く。灯台は旧灯台のものを設置し、灯台の周囲に設けられていたため、東海地震が発生した場合、倒壊する恐れもあり、約800メートル西の竜洋海洋公園内に補強して移築した。
新灯台は約9メートル盛土した上に移設され,地上からの高さは16、7メー
ル。水面からは17,6メートル。光度1万5千カンデラで、光は屋気宇24キロメートル沖合まで届く。灯台は旧灯台のものを設置し、灯台の周囲に設けられたコンクリート囲いの障壁も掘り出して再利用した。
 同町では新年度に建設する世界最大の級の「風力発電装置」とともに公園のシンボルとして観光資源に生かす計画である。