(注)2,戒壇塚附血塚     「浜松市史」(全)P835
  鴨江寺境内仁王門の西に在り。往昔同寺天台宗の時戒壇を作る。比叡山の山法師異議を立てて撤廃うぃお促す。鴨江寺肯かず。山法師等衆徒を派して鴨江寺を襲い、其の戒壇を破棄す。後来其の跡を「戒壇塚」と称すと同寺々記に載す。曳馬拾遺及風土記伝亦之を載す。其の時鴨江寺の法師等の屯せし橋を「鎧橋」と称し、戦死者を埋めし所を「血塚」と称し、鎧橋は可美村に在り。血塚は森田町に在り。