(注)9,堀江藩    「静岡大百科事典」 P739〜40
  明治時代初期、敷智郡堀江(浜松市)に4年間置かれた小藩。1868年(明治元年)9月、旗本大沢基寿は明治政府から一万石の大名として認められ、その陣屋のあった敷智郡堀江に因んで「堀江藩」となり、1871年7月には堀江県、同年11月浜松県に合併して、堀江藩も堀江県も解体した。1868年になって藩が成立したこと事態が異常であるが、幕末維新の混乱期にあって、大沢基寿は「高家旗本」として京都にあり、討幕派の人々tも交渉が多かったという地位を利用して、家臣に命じ浜名湖の湖面に当たる部分も領地だと本来の5000石を1万石に詐称。これが維新政府に認められ、大名に列して堀江藩となった。家臣の中で大名になった後の地位をめぐり紛争が発生し、詐称が露見して大沢基寿は爵位(子爵)等を没収された。(「万石事件」)。なお、大沢氏の職務は幕府にあって儀式や摂関門跡公家の往来のときにさまざまの折衝の役に当たるもので、吉良氏などとともに幕府内で隠然たる力があった。大沢氏が遠江國敷智郡に領地が与えられたのは、大沢基宿(もといえ)からで、基宿は徳川家康に仕え功績があり、特に将軍宣下のとき、公家との折衝を命じられ、高家となったものである。宿廬寺(浜松市庄内町)に墓所ある。