(注)東福門院(1607〜78)
 後水尾天皇の中宮和子。父は徳川秀忠、母は浅井長政(1545〜73)の娘徳子。徳川氏は「禁中並公家諸法度」を公布して朝廷を押さえる一方、婚姻政策で朝廷を懐柔しようとした。元和6年(1620)和子は14才で女御となり、寛永元年(12624)皇后に冊立(さくりゅう・さくりつ=勅命により皇太子・皇后を立てること)されて明正天皇をはじめ2皇子、5皇女を産んだ。同6年(1630)院号宣下、後光明・後西(ごさい)・霊元の3天皇の養母となった。    
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