(注)關孝和(1640頃〜1708)
  江戸時代初期の和算家。通称新助、号は自由亭。甲府藩主徳川綱重(家光の3男=甲府徳川家の祖・1644〜78)綱豊(のちの6代将軍家宣=1662〜1712,将軍在職1709〜12)に仕え、綱豊が綱吉の養子となって、西の丸に入る(1704)と、孝和も幕府の御納戸組頭となった。和算を、高原吉種に学んだとも、独力で研究したともいわれる。傍書法という方法を編み出し、文字係数方程式を扱うことを可能にした。中国から伝えられた天元術を発展させて、高次方程式を公式的に解く新しい算法(ホーなーの方法)を創始した。また行列式の展開法を見出し、多角形の関係式をつくるのに成功するなど、和算の飛躍に大きく貢献した。弟子に建部賢弘・荒木村英らがいる。著書に「発微算法」(1674)・「解伏題之法」(1683)・「括要算法」(4巻、1712)などがある。
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