(注)大久保忠尚(1825〜80)
   国学者。遠江磐田郡見付(磐田市)に淡海国玉神社神官大久保忠照の子として生まれる。初名・初太郎、のち忠尚。号は菫園。4歳で父と死別。13歳で八木美穂(よしほ=1800〜54)に入門。27歳まで時々八木家に來宿し門学。神官として励むと共に家塾を開き和漢の書を教えた。44歳の時鈴木浪江(小国重友=1825〜89)ら神官仲間と遠州報国隊結成に参加。国元留守居役として東征軍に協力。家伝の書を収めて磐田文庫を創設。長男春野も報国隊員として活躍。後男爵・陸軍大将。妻道子は報国隊主唱者・桑原真清(まきよ=1821〜1903)の次女。