(注)町奴  「ブリタニカ国際大百科事典」
  男伊達ともいう。江戸時代初期旗本に対抗し、江戸市中に出現した町人身分の遊侠の徒。華美な服装で徒党を組み、旗本奴・水野十郎左衛門(?〜1664)と対立抗争した幡随院長兵衛(1622〜57)は特に有名。貞享3年(1686)の中山勘解由の大弾圧により一時衰えたが根絶できなかった。維新の頃新門辰五郎(1800〜75)も有名である。

 (参考)水野十郎左衛門(?〜1664) 「同上」
  江戸幕府の旗本。福山城主水野勝成の孫。名は成之。慶安3年(1650)父の遺領をつぎ3000石を領した。旗本奴大小神祇組の首領として無頼の生活を送った。明暦3年(1657)町奴・幡随院長兵衛と争ってこれを殺害。のち幕府にその所業をとがめられて切腹。これは歌舞伎の題材になった。

 (参考)幡随院長兵衛(1622〜57)  「同上」

   江戸初期の侠客。本名を塚本伊太郎。浪人の子。江戸幡随院の住職向導に除名され、浅草花川戸に住み奉公人を周旋する「口入稼業」をしていた。豪胆な性格で紛争をうまくさばくところから、町奴の頭領に推挙され名声を得た。のち、旗本奴水野十郎左衛門と争い謀殺された。この事件は歌舞伎狂言の題材となり、寛保4年(1744)中村座で「礫末広源氏」として上演され、その後も潤色され語り継がれた。
                           「同上」