(参考)新門辰五郎(1800〜75)
  新門は、輪王寺門跡舜仁准后が浅草寺伝法院に建てた「新門」を守ったのによる通称。江戸時代末期の町火消、侠客として知られる。姓は町田。大名火消しとの喧嘩で一時入獄するが、後幕府に出入りし徳川慶喜の護衛に当たった。真山青果作の戯曲「新門辰五郎」(1943初演)などがある。

 ★明治8年9月19日、浅草で死去76歳。墓は西巣鴨4−8−40 盛雲寺にある。

 ★台東区浅草2−3−1 被官稲荷社は辰五郎妻女の京都の伏見稲荷の祈願したところ全快したため、お礼の意味から伏見より勧請し小社を建て被官稲荷社と名付けたという。神社前には「安政2年9月建之 新門辰五郎」と刻む鳥居。

 ■静岡市常磐町2−4 常光寺は明治2年、徳川慶喜が静岡の宝台院に謹慎していた頃、新門辰五郎が宿所としていたところ。

 ■常光寺と新門辰五郎   「現地説明板」
  駿府で謹慎生活を送る徳川慶喜公の警護のため新門辰五郎は一門を引き連れて駿府に赴き、慶喜公謹慎の宝台院に近い常光寺を宿所とした。新門辰五郎は、江戸町火消しにならって、「静岡町火消し」の組織を作ったり、資金調達のため寺町に常設の芝居小屋を建てるなど、えどの町人文化をもたらした。