(注)道中記に見る白須賀
 @「明暦の三年(1657)の道中記」
  「しらすか、二里六町(五十二文・三十五文)宿中町はずれ潮見坂あり、これにて富士山見ゆる。猿が馬場、柏餅あり、三川・遠江のさかひ橋あり。小川也・此道悪し。夜ぶかに出ずべからず」

 A「東海道名所記」(万治元年=1658)
  「白須賀より二川へ二里六町、楽阿弥かたりけるは東国の俗語に、沙(すな)のあつまりて小高きをば、須賀といふなり。宮の渡しより佐屋にまはる。佐屋の入り口にも須賀といふ宿あり。蜂須賀などといふもおなじ。州といふ心なるべし。賀は詞の助字(たすけじ)なり。この道は、沖つしら波たかき所なれば、夜ぶかくひとりはゆくべからず。舞坂(まいざか)、あら井、白須賀、みな海ちかく漁師おほし。ある発句に、「蓼酢(たです)にかたヾしらすかの沖鱠(なます)」
 ★蓼酢‥タデの葉をすって混ぜた合せ酢。アユの塩焼きなどに添える。
 ★沖鱠‥‥沖で捕った魚を直ちに船中で鱠にしたもの。
 ★鱠‥‥薄く細く切った魚肉を酢にしたした食品
 ★楽阿弥‥‥俗世をはなれ法体(俗体にたいしていう。仏門に入り剃髪(ていはつ)した姿)となり、安楽に暮らす人。
潮見坂は町はずれ也。ここより富士山見ゆ。又此坂のぼればうみにおもて、まなこのまへにある故に潮見坂といふ。浜辺の千鳥のこゑ、かすかにきこえければ、楽阿弥潮見坂汐のみちひに浜千鳥こゑさだまらず遠近(おちこち)に聞く。猿が馬場柏餅。こゝの名物なり。あづきをつゝみし餅、うらおもて柏葉にてつつみたるもの也。境橋これ三川・遠江のさかひ橋也。橋の下は小川也。」

 B「東海道巡覧記」(延享3年=1746)
「登り下り立場也。歌枕に白菅(しらすが)とかけり」

 C「諸国海陸道中記」(天明4年=1784)
  「此宿は下の海辺なりしが宝永4亥の年(1707)大洪水有てあらゐの浜よりしらすがの宿おし流すゆへに、翌年子(ね)のとし此所へうつす