(注)6、徳川家康(6才)と潮見坂
 家康の父松平広忠(1526〜49)は、織田信秀(1501〜51=信長の父)の勢力に対抗するため、今川義元(1519〜60)に援助を求めた。義元は条件として人質を要求したので、広忠は我が子家康を駿府に送ることにし、宝飯郡西郡(にしごおり=がまごおり)の港から船で渥美湾を横断し渥美郡(渥美半島)に上陸、そこから陸路駿府に向かう方法をとった。潮見坂には田原城主・戸田康光(?〜1547)が、家康を迎えに出ていたが、康光は家康を奪って田原城に連れ去り、田原から船で尾張・古渡城にいた織田信秀に送り届けた。
 戸田康光は、天文13年(1544)9月、家康を生んだ水野忠政(?〜1543)の娘・於大と離別した松平広忠のもとへ、自分の娘を嫁がせて姻戚関係にあった。その立場を利用して家康を誘拐したのである。