(注)1、安倍晴明(?〜1005)
  平安中期の代表的陰陽師。陰陽・天文家安倍氏の祖。父は大膳太夫益材(だいぜんのだいぶますき)という。天文得業生(てんもんとくぎょうしょう)から陰陽師、主計助(かずえのすけ)天文博士、左京権大夫(さきょうのごんのだいぶ) 等に任じられた。「今昔物語集」には、幼い頃から賀茂忠行に陰陽道を学び、「帝王編年記」には、忠行の子賀茂保憲(やすのり)から天文道を授けられたとある。陰陽師として摂関家をはじめ貴族の間で重用され、また賀茂光栄(みつよし)と共に陰陽道の上首が任命される蔵人所に候す陰陽師となり、一条天皇(980〜1011在位980〜1011)の祭祓(さいふつ)や占いに奉仕した。当時からその名声は高かったが、「大鏡」には、天変により花山天皇(968〜1008在位984〜86)の退位を察し、「今昔物語集」には、老僧と術を競い勝った話など、その占験や呪力を称揚する記述は多い。その撰著には六壬式占(ろくじんしきせん)の法を説いた「占事略決」がある。なお京都市上京区にある晴明神社は、その邸宅跡という。
             「日本歴史大事典」 小学館 P86