(注)2、今川範国(?〜1384)
  南北朝から室町時代の武将。生年に諸説ある。駿河・遠江守護。出家名心省(しんしょう)父今川基氏、母香雲院清庵の五男として生まれ、1326年(嘉暦元年=かりゃく)に出家したが、建武2年(1335)の中先代の乱で兄たちが戦死したため、家督を継ぐ。遠江守護として南朝勢力と戦い暦応元年(1538)美濃國青野原合戦の功績により駿河守守護に補任(ふにん・ぶにん・ほにん=職に補し官に任ずること)された。観応の擾乱(かんのうのじょうらん=1350〜52)後は引付頭人(ひきつけとうにん=引付衆の首席)として幕府に出仕した。幼少より冷泉派の和歌を学び、武家故実に詳しく、射芸にも熟練していた。その資質はとくに二男・貞世(了俊=1326〜1414頃)に大きな影響を与え、その後の今川氏の文武両道の家風を培う基になった。
             「日本歴史大事典」 小学館  P251