(注)敷智郡六座(式内社)   「遠江國風土記伝」より
 @岐佐神社
 舞阪に座す。八王子を岐佐社と称す。朱符の神田の高5石。此所の海、
 蚶(きさ)貝(がい)・蚌(はま)蛤(ぐり)多し。故に象嶋岐佐社と日ふなり。
 A許部神社
 社家日ふ、元浜松郷八幡村に座す八幡社なり、朱符の神田の高50石。
社の外に「颯颯松」有り。玉垣の内に楠有り、神木と称す。祭日は八月十五日、神輿小沢渡音羽松の根(ねもと)に行(いでま)す、今年は浜松若宮に行す。元亀三年甲斐軍八幡社邊に屯す。
 曳馬拾遺に日ふ、「駒形楠は、八幡村八幡社の玉垣内にある木なり。元亀
3年の戦いの日に、白衣を着たる翁人白馬に乗って、彼楠の梢より雲に上る
と、君独り見給ふ、しかして濱松の城を安く知し給ひしかば、軍はてゝ御使いをたゝして、其の木を見せ給ふに、馬の蹄の跡さだかに有りけり、貴み給ひて、神宝御戸代奉らせ給へり。楠は元禄の大風吹倒して今のは其の梢なり」
と。文和風土記に、蛭田郷許邊神社、圭多三十束あり、仁徳2年5月、祭る
所は玉依姫命なりと云へり、按ずるに米津濱の中に小沢渡在るなり、米津は
許部神社の旧跡か。
B津毛利神社
郷村今切海と為り、考ふる所無し。俗説に馬郡村春日神社を津毛利神社と称
す。朱符の神田の高6石。祭日は9月19日、文和風土記に象嶋の郷中に津毛利社を載す。
按ずるに、津毛利神は海神三座にて、住吉社是なり、そこ津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、墨江三前の大社是なり。新居白須賀濱に座主住吉社に当たり、又長上郡参(さん)神野(じの)の社に同じ。
C息(おきの)神社
 宇布見村の米大明神は、ソクの社と称す。朱符の神田の高10石、祭日は2月初午の日。
 文徳実録巻四十四に日ふ、「仁寿二年閏八月、遠江國息神社に従五位下を授 く、大風屋を發ち木を抜く」と、又日ふ「遠江國息神を官社に列す、廩院(りんいん)米(まい)(廩院とは、平安時代、田祖や庸の米を収蔵した民部省の倉庫)を以て、京師の風害を被る者を賑給(しんきゅう)(貧民や被災者を救うこと)す」と。
 按ずるに、大神の御息は即ち風神なり、古事記に謂ふ志那都比古神なり。
 延喜式に立田の風神祭、天の御柱の命、國の御柱の命と謂ふ、
D曽許乃御立神社
 呉松村館山鹿島大明神なり、朱符の神田の高10石。
 社記に日ふ、神護景雲元年6月21日齋く所は武甕槌命(神)なりと。
 三代実録巻五に日ふ、「貞観四年五月朔日、遠江國正六位上曽許乃御立神社並に賀久留神に従五位下を授く」と  (以下略)
E賀久留神社
 神ヶ谷村の八幡社なり、朱符の高10石、社北に加久禮池、加久禮川有りと、神宝は龍の面なり、裏書きに日ふ「文字(治か?)二年造る、即ち竜王面なり」と三代実録巻五貞観四年従五位下
(注)八幡宮の祭神について
 ○玉依姫命(玉依比売命・玉依姫尊・玉依毘売命)
   神武天皇の母。海神の娘で豊玉毘売命の妹。玉依は霊依(たまより)で「タマ」は神霊、「ヨリ」は人間に憑(つ)くことであり、神霊が憑依(ひょうい)する女。即ち巫女(みこ)をいったものである。
  ◆憑依…霊などがのりうつること。
 ○品陀和気尊(応神天皇・大鞆和気尊・誉多別尊・品太天皇)
  5世紀前後頃の15代天皇。14代仲哀天皇の第四皇子。母は神功皇后。応神という諡の出典は不明。124代の天皇の中で「神の字」のつく天皇は、第1代神武・10代崇神・15代応神以外にない。