(注)金光明経
  仏教経典。漢訳には北涼(ほくりょう)(中国の五胡十六国の一つ・397〜439)の曇無讖訳「金光明経」(4巻)と、隋の宝貴らの「合部金光明経」(8巻)、唐の義浄の「金光明最勝王経」(10巻)などがある。この経典を読誦する國は、四天王に守られ繁栄するとあることから、鎮護国家のための経典として重んじられている。日本でも、奈良時代に国分寺や四天王寺が建てられ、最勝会(さいしょうえ)などがこれに基づいて行われた。
 (注)最勝会(さいしょうえ)
  金光明最勝王経を講説し、国家の安穏を祈る法会。奈良時代から宮中で行われて御齋会(ごさいえ)といい、平安時代には薬師寺・円宗寺でも行われた。
 (注)羅漢(阿羅漢の略称)
  応供(おうぐ)と訳される。供養と尊敬を受けるに値する人の意。剃髪し、袈裟を着た僧形に表される。中国・日本では十六羅漢・十八羅漢・五百羅漢のように仏道修行者の群れを指し、禅宗の流通に伴って多数制作された。
 十六羅漢の信仰と羅漢図は中国唐代に始まり、五代には貫林がその名手として知られ流布した。日本では中国からの将来品が多く、特に鎌倉時代以降隆盛をみた。羅漢の彫像では凶徒南禅寺の「十六羅漢像」(1628頃)、東京羅漢寺の「羅漢像」(1688〜95)、画像では唐の系統を引くとされる11世紀の東京国立博物館蔵の「十六羅漢図」が有名である。