(注)金刀比羅神社祭神
 @大物主命(神)
  大穴牟遅神(おおなむちのかみ)・葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)  八千矛(戈)神(やちほこのかみ)・宇都志國玉神(うつしくにたまのかみ)
  大国主神(命)ともいう。
 古事記に記された出雲神話の主神。大国主とは、大国を治める帝王の意。大穴牟遅は「大名持」で功績が多く著名の意であり、また大地持(地をナと訓(よ)む例には地主(なぬし)・地寄(なより)がある)でもあって、「日本書紀」では、大己貴(おおなむち)・大汝(おおなもち)と書いたりする。葦原色許男の「葦原」は葦原之中國(あしはらのなかつくに=日本本土)のことで、色許は醜(しこ)で、威力を称えた言葉であり、日本本土を治める強い偉い人の意。八千矛は多くの矛を持つ神、即ち武威の神名。宇志國玉は現國御魂の義で、現在の國の守護神という意味になる。
 総じて「古事記」では大国主神の名を用い、「日本書紀」では大己貴神の名を多く用いている。
 この神は、出雲神話の始祖・須佐之男命の子供、又はその6世の孫ともされ、日本神話の中心となる神で、特に出雲神話の主役であった。国内平定・国土経営修理・天下巡行・農業・黒土の保護・禁厭の法の制定・医薬温泉の神ともされ、数々の文化的事業を神話の上で残している。もちろん出雲大社の主祭神である。
 この神の生い立ちについては「日本書紀」でhさほとんど触れておらず、「古事記」の方が詳しい。  「日本の神様事典」P85〜6
 A白峯大神(崇徳天皇)
  四国の金刀比羅宮は、明治以前は「金毘羅大権現」と呼ばれ、12世紀の保元の乱(1156)で都を追われて(坂出市府中)にとどまった崇徳天皇(1119〜64・在位1123〜41)は金毘羅大権現を深く崇敬されたので、崩御後、永万2年(1165)その霊を合祀され、御本宮と奥社の間に「白峰神社」が祀られた。崇徳天皇の御陵・白峰御陵は坂出市南部の五色台中腹の四国霊場第八十一番「白峰寺」の横にある。
 B金山彦命(神)(金谷毘古神)
 伊弉冉尊が火の神「迦具土神」を生まれた時、金山姫命と共に吐(タグリ=多具理・嘔吐物)より生まれた神。鉱山の神とされる。二神とも鉱山を主宰しまた荒金を堀り採るとされ、このことから剣・鏡・刀・仗(ほこ)鋤・鍬などを鍛えるなどすべて金属に関する技工を守護する。