1浜松宿 概要
東海道・浜松宿を歩く

 1 浜松宿 概要
(1) 浜松宿について
 @宿内人別
 A宿内惣家数
 B浜松宿往還
 C本陣

 2 宿内散策
 (1)大手門跡〜中番所跡
 @大手門跡
 A曳馬坂
 B高札場
 C五社公園周辺
 D中番所跡

 (2)松尾神社〜本称寺
 @松尾神社
 A木村竜江墓碑跡
 B本称寺

 (3)東漸寺〜西番所跡
 @東漸寺
 A西導寺
 B法林寺
 C泣き子地蔵尊跡・西番所跡
(1) 浜松宿について
  品川宿から数えて29番目
  日本橋から約267.7km
  舞阪宿へ2里半12町(約11km)
  見付宿へ4里7町(約16,7km)
  @宿内人別……5,964人(男―2,932人女―3,032人)
  A宿内惣家数…1,622軒(本陣6 脇本陣なし 旅籠94)
  B浜松宿往還…20丁32間(約2,178km)
     東木戸(馬込橋東)〜西木戸(成子町)、中木戸(旅篭町)
     ※城下町の外木戸・内木戸は馬込橋西の二重堤にあった。
 (参考)
 1里=3,9km=36町 1町(丁)=60間=約109m
 1間=6尺=約1,818m 1尺=10寸 1寸=3,03cm
 1尺=約30,303cm(曲尺=かねじゃくの場合=形が矩形。直角にまがったものさし)
   ※鯨尺…民間で布を測るのに用いる。鯨差(くじらさし)ともいう。
      鯨尺1尺=曲尺の1尺2寸5分=約37,9cm
      もと「鯨ひげ」で造ったからこの名がある。
   ※呉服尺…江戸時代まで衣類の裁(た)ち縫いに用いた。呉服差ともいう。
    呉服の1尺=曲尺の1尺2寸=約36,4cm。明治に廃止された。
  C本陣
  ◆佐藤本陣跡…佐藤与左衛門(連尺町)
    (現地説明板)
 大名・公家・幕府高官など貴人の宿泊のために宿場に置かれた旅館を本陣といいます。ここは、浜松本陣6ヶ所の内、佐藤家の本陣跡で建坪およそ225坪(約745u)ありました。
 




 ◆川口本陣跡…川口次郎兵衛(伝馬町)
    (現地説明板)
 大名・公家・幕府高官など貴人の宿泊のために置かれた旅館を本陣と言います。ここは、浜松本陣6ヶ所のうち最も新しくできた川口家の本陣跡で、建坪は163坪(約400u)あったといいます。





 ◆杉浦本陣跡…杉浦助右衛門(伝馬町)
 元亀元年(1570)家康入城と共に名主役に、慶長6年(1601)伝馬制が定められた時、問屋役を命じられた。室町後期から続く古い家柄。
     (現地説明板)
 大名・公家・幕府の役人など貴人の宿泊のため宿場に置かれた旅館を本陣といいます。ここは浜松の本陣6ヶ所の内で最も古い杉浦家の本陣跡です。建坪がおよそ272坪(約900u)ありました。
  
  ◆梅屋本陣跡…梅谷市左衛門(伝馬町)
 先祖九衛門は八幡村(八幡町)の出身。浜松宿に出て登用された。江戸初期から本陣を勤める。賀茂真淵(1697〜1769)の養家先。

 




 ◆伊藤平左衛門(旅篭町)
      現地説明板なし。現在駐車場。松尾神社入口
(参考)太田南畝「改元紀行」
 「今宵の宿は本陣にて、浜松宿において伊藤平左衛門という……」
 
 



 ◆杉浦惣兵衛(旅篭町)
      現地説明板なし。旅篭町90番地付近
 
※弥次喜多ウオーク(説明板)
       本陣跡
 本陣とは大名が宿泊する施設のことです。浜松宿には6軒の本陣がありました。これは箱根の宿と並んで当時では最大規模でした。
    ★4本陣に共通して掲示。

◎初め本陣は杉浦助右衛門本陣が1軒、のち江戸初期に5本陣、江戸後期に川口本陣ができ、6本陣となった。

 (注)本陣について