(3)本果寺
(1)新福寺
(2)隣海院
(3)本果寺
(4)神宮寺
(5)龍谷寺
(6)諏訪神社

 (3)正興山本果寺    「現地説明板」
  ・宗派 法華宗 陣門派 正興山 本果寺
  ・本尊 十界互具 大曼荼羅
      一塔両尊四士高祖日蓮大聖人
  ・創建 元中7年(1390)
  ・開山 速誠院日才大徳(そくじょういんにっさいだいとく)
  ・沿革 もとは真言宗のお寺であったが、元中7年(1390)本興寺の末寺となり、法華宗に改宗した。宝永4年(1707)の大津波により大破、惣町移転となり、翌年現在地に移転した。  徳川家康(1542〜1616在職1603〜05)をはじめ代々の将軍より朱印を賜り、有栖川宮御祈願所を拝命し、位牌を安置。松山新田の開拓者野口休可の墓や無縁供養の「めぐみ観音」を祀る。俳匠大野林火の句碑があり、「お経に化けた鯛」の伝説もある。平成12年(2000)「一字一石経」の経塚に、「あけぼののお鐘」が建立された。
「野口休可の墓」  「現地説明板」
   野口休可(久賀とも書く、本名は甚九郎直勝)は、慶長十九年(1614)遠州中泉(磐田市)の生まれ。はじめ船業を営んでいたが、三十才の時に廃業。その後、橋本村に移り住み、明暦二年(1656)
に松山新田を開拓した。
 開発後は、同新田内に移り住んだが、延宝八年(1680)に没し、ここ正興山洪家事本果寺(しょうこうざんほんがじ)に葬られた。
   平成十七年三月          新居町教育委員会

山門 本堂

(注)野口休可の墓
野口休可の墓(中央) 野口休可の墓

(注)佐々木高綱(?〜1214)

(注) 伝説「お経に化けた鯛」

 ○大野林火の句碑
     寄らですぐ  月の湖辺の   友の僧
大野林火の句碑

(注)大野林火

 ○一字一石経
平成の経塚

(注)一字一石経と経塚