3さぎのみや駅〜遠州小松駅
遠州鉄道西鹿島線
〜沿線の史跡を訪ねて〜

1 新浜松駅〜八幡駅
 (1)新浜松駅
 (2)第一通り駅
 (3)遠州病院前駅
 (4)八幡駅

2 助信駅〜遠州上島駅
 (1)助信駅
 (2)遠州上島駅
 
3 さぎの宮駅〜遠州小松駅
 (1)さぎのみや駅
 (2)遠州西ヶ崎駅
 (3)遠州小松駅

4 浜北駅〜小林駅
 (1)浜北駅
 (2)北浜中学校前駅
 (3)遠州小林駅

5 遠州芝本駅〜西鹿島駅
 (1)遠州芝本駅
 (2)遠州岩水寺駅
 (3)西鹿島駅

※参考にした本等

    
 この区間の路線距離は4,9km。自動車学校駅は通過し次のさぎの宮駅で下車地下道をくぐり、川沿いに200m程もどり、左折すればブロック塀沿いに双体道祖神を見る事が出来る。自動車の往来が激しいので注意。時間の余裕があれば、その先徒歩10分で「鷺宮」の地名の由来となった「八坂神社」を参拝しよう。再び電車で積志駅は通過次の西ヶ崎駅で下車、タクシーで甘露寺見学後遠州小松駅を経て、赤門上古墳に向かい再び遠州小松駅より新浜松駅に向かう。

(1)さぎのみや駅
 @双体道祖神…「さぎの宮駅」東方300m   製作年代不詳
 

(注)道祖神

 A八坂神社…浜松市大瀬町903  「浜松神社名鑑」より
                       双体道祖神より徒歩8分

 ◎祭神…須佐之男(すさのをの)命(みこと) 天之(あめの)忍(おし)穂(ほ)耳(みみの)命(みこと)
 ◎例祭日…八月十五日
 ◎由緒…古来疫病除の神として崇敬され、八月の煙火祭りで知られる。創立年代不詳であるが、慶長十六年(1611)再建の棟札を有す。かつては二十年ごと本殿改築遷宮を行ってきた。維新以前は「鷺宮(さぎのみや)牛頭(ごず)天王社(てんのうしゃ)」と称し、武家より崇敬され、後光明天皇(1633〜54・在位1643〜54)の時代には、幕府より庫米八俵二斗、慶安元年(1648)徳川家光公より朱印高一石三斗五升の寄進をうけた。この神社の鬱蒼と生い茂った森には、昔多くの「白鷺」が舞いおりたので、いつの間にか「鷺宮」と呼ばれるようになったと伝えられる。境内社として稲荷神社・山神社を祀っている。

(2)遠州西ヶ崎駅
 @法雨山甘露寺 浜松市中郡町1026 電話053−434−5320
            「浜松七福神」弁財天霊場

 ◎由緒…寺伝によると遠江國において反乱を起こし、異郷の地に散った新羅人数百人の霊を慰めるため、弘仁13年(822)弘法大師(空海=774〜835)により開創された。承安2年(1172)平重盛(1138〜79)により七堂伽藍の造営がなされ、遠江國の真言宗の道場として繁栄をみた。その後明徳元年(1390)仲翁和尚が分派し臨済宗に改宗。応仁の乱(1467)の折諸堂は炎上、室町から江戸期にかけて盛衰を繰り返したが、元治元年(1864)不慮の災禍により伽藍の大半を焼失した。しかし、幸いにも、楼門と中門のみは焼失を免れたが、楼門は昭和35年頃には朽ち果てた。桃山様式の建築技法を伝える中門は、斗組・懸魚・左右の支柱に特色が見られ、市指定文化財に指定されている。

(注)平 重盛と遠州の三連寺
※三角縁神獣鏡…赤門上古墳参照

(3)遠州小松駅
 @赤門上(あかもんうえ)古墳(こふん)
  三方原台地の東端旧浜北市の南西部にあたる内野丘陵地には多くの古墳 が点在し「内野古墳群」を形成している。それら古墳群の中でも、旧浜北市で 最古・最大の前方後円墳が「赤門上古墳」である。
 ◎静岡県指定史跡 赤門上古墳
 昭和55年12月 静岡県教育委員会
            浜北市教育委員会
 南に突き出た丘陵の先端に、前方部を南に、後円部を北に築かれた長さ56,3m、後円部の高さ4,9mの市内で大きな「前方後円墳」である。
 昭和36年(1961)に発掘調査が行われ、後円部の木棺を埋葬した跡から「華(はな)紋日月四神四(もんにちげつししんし)獣(じゅう)鏡(きょう)」と呼ばれる銅鏡一面のほか、管(くだ)玉(たま)6・直(ちょく)刀(とう)1・鉄(てつ)剣(けん)1・銅(どう)鏃(ぞく)11・鉄(てつ)斧(ぶ)・鉋(やりかんな)2・刀子(とうす)1が発見されている。特に鏡は中国からもたらされたもので、同じ鋳型から造られた「同笵(どうはん)鏡(きょう)」が関西方面に4面発見されている。この同笵鏡の研究によって畿内(きない)の大きな勢力への従属のあかしとして、鏡が分与されたという説が発表されている。 これらのことから、この古墳は4世紀末頃に築かれ、当時天竜川西岸地域に大きな力をもっていた豪族を葬ったものであろうと考えられる。
 ◎静岡県指定史跡  赤門上古墳
         平成6年8月 静岡県教育委員会
                  浜北市教育委員会
 南に突き出た丘陵の先端に、前方部を南に後円部を北に向けて造られた長さ56,3m、後円部の高さ4,9mの市内でも大きな「前方後円墳」です。
 この古墳に葬られた人は、約1600年前、今の浜北市と浜松市を含めた天竜川の西岸地域で最も大きな力をもっていた豪族と思われます。死者は石でできた首飾りをしてクスノキの棺に入れられ、「三角縁神獣鏡」と呼ばれる銅鏡のほか、剣・刀・鏃などの武器・斧・鉋・小刀などの工具と一緒に後円部に葬られたもので、発掘品は文化センター内の歴史資料館に展示公開されている。

(注)三角縁神獣鏡

※赤門上古墳周辺の古墳
 ●山の神古墳 「現地説明板」
   別名「内野台2号墳」とも呼ばれており、直径十六メートル、高さ約1,8メートルの円墳です。墳丘の頂上部分に「山の神」を祀った祠があることから「山の神古墳」と呼ばれています。未発掘の古墳のため、出土品や時期は明らかでありません。
     平成六年   浜北市教育委員会
 ●稲荷山古墳  「現地案内板」
  三方原台地の東の縁につくられた直径約30メートル、高さ約3,5メートルの円墳です。埴輪などは見あたりませんが、まわりに空堀のあとがよく残っています。発掘調査されていないので、どのように死者を葬ったのか、また副葬品はどんな物かあるのか分かりません。しかし、内野古墳群の中でも大型の古墳で、赤門上古墳より新しく約1,500年前頃、大きな権力を持っていた豪族の墓と考えられています。
    昭和五十四年三月  浜北市教育委員会