6 小笠町
国道150号線
〜沿線の史跡を訪ねて〜

1 竜洋町
(1)貴船神社
(2)袖浦公園
(3)掛塚灯台
(4)その他

2 浅羽町
(1)郷土資料館
(2)馬伏塚城跡
(3)了教寺
(4)龍冨山 松秀寺

3 大須賀町
(1)景江山撰要寺
(2)横須賀城
(3)寂静山本源寺
(4)普門寺
(5)龍眠;寺
(6)大淵山窓泉寺
(7)三熊野神社

4 大東町
(1)高天神城跡
(2)松本亀次郎公園
(3)吉岡弥生記念館
(4)吉岡弥生生誕地
(5)梅月山華厳院

5 浜岡町
(1)池宮神社
(2)その他

6 小笠町
(1)正林寺
(2)黒田家住宅と代官屋敷資料館

7 相良町
(1)相良町史料館
(2)竜門山大興寺
(3)大鐘家
(4)相良油田
(5)その他

8 吉田町
(1)小山城
(2)能満寺



(1)正林寺  菊川市高橋497 電話0537−73−2221
 @正林寺について
 文明8年(1476)横地氏・勝間田氏を討った今川義忠(1426〜76)は、その帰路「塩買坂」にさしかかった時、横地氏の残党に不意をつかれ討ち死にした。その後氏親(1473〜1526)が父・義忠の死後40年後の1517年(永正14)ゆかりの地塩買坂の近くにその菩提を弔うために一寺を建立し、義忠の法名「長保寺殿桂山宗昌大禅定門」から「昌桂寺」といったのが、後に「昌林寺」となり「正林寺」となった。
 正林寺裏山には今川義忠の五輪塔があり、正林寺には6代今川義忠自作の像と位牌及び7代氏親の正室寿桂尼の画像がある。いづれも、旧小笠町有形文化財に指定されている。
 (注)正林寺と塩買坂

 A今川義忠公の墓   現地説明板
             

文明8年(1476)この地で絶命した今川義忠公追善のため、永正14年(1517)その嫡子氏親公、国源山昌桂寺を開創し、のち昌林寺、正林寺と寺名を改めて今日に及んでいる。       法号 長保寺殿桂山宗昌大禅定門
  今川氏系図
  五代範忠ーー六代義忠ーー七代氏親ーー八代氏輝
                      |
                   九代義元ーー十代氏真

(注)今川義忠と氏親



(2)黒田家住宅と代官屋敷資料館 菊川市下平川862   現地説明板
                 0537−73−7270
 @黒田家住宅
 黒田家は、此地を治めた本多氏の代官である。昭和48年長屋門・母屋が国の重要文 化財に指定。平成五年には米蔵・東蔵・濠を含めた屋敷全体が追加された。




 ◆長屋門
18世紀頃の建築。置千木を11本置く。茅葺き屋根は二千石も格式を示すも        ので、桁行き68尺(20,6m)昭和51年解体修理で元の姿に復元。



 
 ◆母屋
安政の地震後の建物。平成九年解体修理、元の姿に復元・

 ◆濠
  中世城郭の遺構として、近世・現世へと使われ続けた遺跡。
     
 




A小笠町代官屋敷資料館   黒田家ゆかりの蔵品を展示公開。
  ・矢屏風・月琴・蒔絵重箱・金蒔絵文箱他
 






 B歴史街道舘
小笠町出身の杉山良雄画伯の24街道画展示
 ★開館時間及び入館料
  御前9時〜午后4時、月曜日と祝祭日休館。
  300円(歴史街道舘と共通)
  ☆交通案内
 JR掛川駅下車、タクシーで20分
 JR菊川駅下車、バス「浜岡営業所」・「御前崎サンホテル行」「御前崎行」のいづれかに  乗車「本町」バス停下車、徒歩5分
  
※黒田家主屋長屋門  国指定重要文化財(建造物)  現地説明板
      昭和四十八年六月二日指定(文部省告示一〇三号)
 黒田家は代々武家で永禄年間(1558)現住地に移り江戸時代には四千石の旗本、本多日向守の代官であったという。屋敷は正面に大規模な長屋門を構えて周囲には堀をめぐらして城郭の面影を残し、広さは一ヘクタール(1万u=約1町)程あるので、文久年間(1861)記銘の家相図が残されており、これとよく一致するのでこの頃竣工したものであろう。構造は床上部において棟通りをはさんで四尺巾(1,2m)二列に柱を立てそれらの柱列から前後各二間半(4,5m)を上屋とし、四周に一間巾(1,8m)の下屋をまわしている。小屋組は和小屋で寄棟造桟瓦葺として下屋部分は一段低く屋根をかける。背面下屋のうち「つし」のある二間(3,6m)分は更に一段下げて明かり取りの窓を開いている。この住宅は柱梁及び指物など太い木割りであり代官の住宅にふさわしく良質で仕上げも丁寧である。建築年代は下がるが、明らかに改造が少なく保存が良い点など重要な遺構である。
 長屋門の礎石の墨書から十八世紀中頃の建築と見られ寄棟造茅葺きで桁行き六十八尺(21m)の大規模な門である。安政被災前の屋敷遺構を示す古図嘉永三年(1850)記銘から判断すると扉口西方の三室のうち西端室は文久の主屋再建時に半間(0,9m)通り拡張されて全面的に改造されたことがわかるが、大規模で質の良い長屋門である。この門は昭和五十年(1975)五十一年度文化庁の補助事業により全面解体修理工事を施し、復元されたものである。
     昭和五十三年七月一日
      文  化  庁   小笠町教育委員会