1 医王山油山寺
遠州三山

  医王山油山寺
  (1)宗派
  (2)本尊
  (3)守護神
  (4)沿革
  (5)建造物等
  (6)天然記念物
  (7)句碑・詩碑
  (8)伝説
  (9)その他


 2 万松山可睡斎
  (1)宗派
  (2)本尊
  (3)沿革
  (4)建造物等
  (5)掛川藩主の墓


 3 法多山尊永寺
  (1)宗派
  (2)山号
  (3)本尊
  (4)沿革
  (5)建築物等
  (6)祭礼
  (7)その他
袋井市村松1番地
    電話0538−42−3633
    正式名…医王山薬王院油山寺 俗称…「あぶら山」

(1)宗派…古義真言宗智山派
(2)本尊…薬師如来(行基作)
  薬師本堂内の今川義元寄進の宮殿厨子内に秘仏の本尊として安置されている。
  なおこの「本堂内薬師如来厨子」は国指定重要文化財である。
(3)守護神…軍善坊大権現
  足・腰に霊験あらたかといわれ、最近スポーツ選手、老人の参詣者が多い。本堂内の薬師如来(厨子内に安置)の左側に祀られている。
(4)沿革
  開山は行基菩薩(668〜749)「万民和楽・無病息災」を祈り、自ら「一刀三礼」して「薬師如来」を彫られ安置したのに由来する。天平勝宝元年(749)孝謙天皇(718〜70在位749〜58)が眼病を患ったとき、この油山寺に平癒祈願し、「るりの滝」で洗浄したところ全快した。以来勅願所に定められた。
源頼朝(1147〜99)・今川義元(1519〜60)等の信仰厚く堂塔の寄進を受け、その後徳川家康(1542〜1616)や遠州横須賀城主・西尾隠岐守・掛川城主大田備中守らの帰依により繁栄を見た。
 ○油山寺縁起          「現地説明板」
 当山は、今を去る千三百年の昔行基基菩薩により開山された真言密教の古刹である。
境内にある「るりの滝」が昔は「油の滝」であったところより油山寺と名付けられた。
 山頂のご本尊薬師如来は行基菩薩の御作であり、諸病平癒特に目に霊験あらたかに信仰され、一千年の今日まで「目の霊山」として全国の方々から親しまれている。
 天平勝宝元年(749)四十六代孝謙天皇は当山で眼病全快され、勅願所と定まる鎌倉時代には、源頼朝公が三重塔又室町時代には今川義元公が厨子宮殿を建立する。
 徳川家康以来歴代将軍の尊信厚く、七堂伽藍は全山に盛観をきわめたが、戦国の兵乱・廃仏毀釈等幾多の変遷をへて今日に至った。
 本坊宝生殿(祈祷所)には、身代わり厄除け不動明王がまつられ、一山の守護神である軍善坊大権現は、本堂内陣に安置され足腰に利益があり、「健足の神」として崇め信仰されている。 境内五十町歩は山谷にとみ、西側山中、大師山には四国八十八ヶ所霊場又公園より東側観音山には西国三十三観音霊場が安置されている。
 翠岩より落ちる浄水「るりの滝」は千年一日として絶えることなく信者の心身を清める行場であり、岩窟には御滝不動明王が奉安されている。
 三重塔には大日如来、広大な境内には弘法大師、開運大黒天、厄除け観世音、地蔵菩薩、光明稲荷大明神、金龍弁財天、茶祖栄西禅師等諸天善神がまつられ全山曼荼羅の霊地である。
 国指定文化財三点、県指定文化財三点、天然記念物等は県下寺院一を誇っている。 春の新緑と野鳥の歌声、秋は名月に宝塔と紅葉の美しさは名所と謳われている。大自然の静けさ、御仏のめぐみに抱かれ、身と心の静養に一日ゆっくりご参拝下さい。

(5)建造物等
  @山門…重要文化財
  掛川城大手門で万治2年(1659)井伊直好が建立したもの。その後享保18年(1713)小笠原壱岐守の修理を経て、明治に至り廃城に際して、明治6年(1873)掛川城主大田備中守の眼病平癒のお礼として寄進されたものである。当初は本瓦葺きで大棟に鯱を飾っていたが、大正12年(1923)修理の際銅板葺きとし、その他多分に変形破損していたので、昭和45年(1970)1月より国・県・市の助成を得て、大修理に着手し翌年建立当初の姿に復元竣工した。城郭造、前後庇付入母屋造、重層本瓦葺き、桁行9,3m、梁間 4,6m、2階25畳、漆喰白壁、窓、柱0,6m、角総欅材、正面大扉は楠の一枚板を使用している。大棟両側を飾る鯱一対は、江戸初期の名作といわれ、門建立当初に作られたものであるが、大正の修理の際に下ろして、方丈の大床に保存されている。重要文化財である。
 二層片潜付城門は全国的にも珍しく、静岡県唯一の城郭文化財である。                               
 ○重要文化財油山寺山門(元掛川城大手門) 「現地説明板」
            国指定昭和29年

 医王山油山寺は、行基大士(だいし=一般に菩薩を指す)の開創で、天平勝宝元年(749)孝謙天皇の勅願所となった真言宗の古刹です。遠江四十九薬師の霊場である。本尊薬師如来は、諸病全快特に眼病平癒で深く信仰され、その他不動明王・大日如来・軍善坊大権現・光明稲荷・茶祖栄西禅師・西国三十三観世音・弘法大師等の諸天善神が奉祀されている。 山門は元掛川城大手二の門である。明治6年(1873)廃藩に際し大田備中守
の寄進により現地に移建した。 万治2年(1654)井伊兵部直好が掛川城の玄関前に建立され、その後享保18年(1713)小笠原壱岐守の修理を経て明治に至った。 当初は本瓦葺きで大棟に鯱を飾っていたが、天正12年(1923)修理の際、屋根を銅板葺きとし、その他、多分に変形破損していたので、昭和45年1月より、国・県・市の助成を得て、大修理を竣立し建立当初に復元、仝46年7月竣工した。 片潜附楼門で前後に庇屋根のあるのは全国的にも珍しく、江戸初期の城門で県下唯一の遺構として城郭史上重要な建物である。
  重要文化財 附鯱二個
元掛川城の大棟(おおむね=屋根の水平な棟)両端に飾られていたものである。大正の修理の際に下ろして、方丈の大床に保存されている。この鯱は、建立当初に作られたものであり、江戸初期の名作として重要なものである。
    昭和47年7月吉日
           医王山 油山寺執事誌
○重要文化財 油山寺山門  「現地説明板」
  屋根瓦と漆喰のコントラストが美しい。油山寺に保管されている棟札に、「掛川城御玄関前大手二之門」とあります。太い柱や一枚板の扉も豪壮で、江戸時代の城門の姿をよく残しています。
   ・万治二年(一六五九)井伊直好の創建
   ・享保一八年(一七三二)修理
   ・明治五年(一八七二)掛川城廃城
   ・明治六年(一八七三)掛川城より油山寺へ移築
   ・昭和四六年(一九七一)半解体修理
 間口は約九m、奥行き四・五五m、片潜り(かたもぐり)付櫓門。前後に庇屋根(ひさしやね)柱は六五cm角、二階は十五畳敷の広さ
 重要文化財指定 昭和二九年九月十七日
 説明板設置   平成六年三月二十九日
    静岡県教育委員会
    袋井市教育委員会

 A三重塔…重要文化財
  建久元年(1190)源頼朝(1147〜99)が眼病全快のお礼として建立。その後、遠江国守工藤祐経(?〜1193)が薬師堂と共に普請奉行をされた由緒深い塔。その後武田・今川の兵火にあい焼失、天正2年(1574)再建に着手、久野城主久野丹波守宗成(久野城最期の城主)の援助により、慶長16年(1611)36年間を要し完成した。桃山時代完成の日本三大名塔の一つ。(長命寺=滋賀県・宝積寺=京都府)。内陣には弘法大師作と伝えられる大日如来を安置。塔の高さは凡そ23m、上層は唐様と天竺様,中下層は和様式。三手先組一式、上層は2,3m四方、中層は2,8m四方、下層は3,6m四方。
 昭和42年(1967)源頼朝が建立されて以来、初の解体修理に着手、同44年(1969)復元竣工した静岡県最古の塔。                                                 
○重要文化財 油山寺三重塔   「現地説明板」
 長命寺(滋賀県)と宝積寺(ほうしゃくじ=京都府)の三重塔とともに、桃山時代の」一つに数えられています。屋根の反りや、その下の組物(建築物の柱上にあって軒を支える部分。斗(ます)・肘木(ひじき)とからなる。)が美しく、全体のバランスもよく整っています。
    ・天正11年(1574)着工。二重まで進む。
    ・慶長16年(1611)完成。久野宗成の援助。
    ・嘉永6年(1853)白木を丹塗にする。
    ・大正9年(1920)?葺(こけらぶき)を銅板葺にする。
    ・昭和42年(1967)より解体修理を行う。
    ・初層は約4m四方、塔高18,25m
    ・相輪まで含めると23,88m
    ・重要文化財指定 昭和29年(1854)9月17日。
    ・説明版設置 平成6年(1994)3月29日
           静岡県教育委員会
           袋井市教育委員会

B本堂(薬師堂) 静岡県指定文化財(昭和42年=1967指定)
   建久元年(1190)源頼朝(1147〜99)眼病全快のお礼に寄進、遠江国守護工藤祐経(?〜1193)が普請奉行に当たった建物。その後元文3年(1738)時の山主(住持)幸恵法印(ほういん=法印大和尚の略=最高の僧位)が、8代将軍徳川吉宗(1684〜1751)に拝謁の折、病気平癒のお礼に再建寄進されたもの。昭和46年(1971)文化庁の指導監督により修理が施された。桁行5間、梁間5間の宝形造(ほうぎょうづくり=方形造)。一間向背付・茅葺型銅板。一間妻入り、入母屋造り、内陣に安置されている宮殿(くうでん)型厨子は本尊薬師如来を祀る。天正年間(1573〜92)建造と推定。重要文化財。

 (注)重要文化財 油山寺本堂内厨子   「現地説明板」
 本堂の中へ入ると奥に内陣があり、その中央に本尊の薬師如来坐像を安置した厨子があります。寺の伝えによれば、今川義元(1519〜60)の供養のために寄進されたものと言われています。
       室町時代末期の製作と考えられる。
       天正16年(1588)修理の記録
       寛政(18世紀後半)・明治時代の修理
       昭和43年(1968)半解体修理
       重要文化財指定 昭和29年(1954)9月17日
       説明版設置 平成6年(1994)3月29日
          静岡県教育委員会
          袋井市教育委員会
C書院  静岡県文化財指定(昭和44年=1699)
 元遠州横須賀城内にあり、元禄12年(1699)創建。安政6年(1859)遠州横須賀城主西尾隠岐守の寄進。桁行7間・梁間3間半、寄棟造、瓦葺。昭和54年(1979)文化庁の指導監督により復元され、天井・脇床・違棚筆返の技法はまれに見る優美な手工であるといわれる。

○文化財 書院  昭和44年静岡県指定  「現地説明板」
  元禄12年(1699)約300年前、遠州横須賀の城内にあった御殿建築白書院
である。安政6年(1859)藩主西尾隠岐守より拝領して当山に移築された。
江戸初期の書院として優れた技工と地方色豊かな建造物で、昭和54年(1979)
に当初の姿に復修完成した。

 D宝生殿
 本坊正面の仏殿。本尊は智証大師(円珍=814〜91)作と伝えられる不動明王であり、その東西に高祖弘法大師(空海=774〜835)をはじめ、山内に安置する諸天善神の本地を祀り、十方信徒の祈祷・大護摩供秘法修法の道場、法話、座禅等の宗教儀式に用いられる。外陣(げじん=社寺の内陣の外側で、人々が拝礼する所)の格天井には、日本画の中村華香iかがい)作「四季花鳥図」がおさめられている.



 E礼拝門
  三方原開拓の祖、気賀林宅の元正門で、倒壊寸前のところ、昭和58年(1983)その徳をたたえ子孫である気 賀祥太郎氏の寄進と信者の協力により当山に移築、修理したもの。棟上の双龍と十六大菩薩は陶芸家大橋貞華氏の作である。
 (注)1、気賀林


(6)天然記念物
 @ 御霊杉(みたますぎ)…山門脇
     弘法大師ゆかりの霊木。天然記念物
 伝説によれば、この地を訪れた弘法大師が、貧しい村人の病気の幼子の命を、法力(ほうりき=仏法を修行して得た不思議な力)をもって助けた。子供の両親はお礼にと夫が松、妻が杉で一膳の箸を作り、大師の食膳にささげたという。大師は旅たちに際して、その松と杉でできた箸を、人の真心の尊さを説くものとして、この地に挿したところ、ふしぎなことに箸より芽が出て、幹が松枝葉が杉の霊木に成長したといわれる。        
  
○天然記念物  御霊杉  昭和二十七年  「現地説明板
  伝説、昔弘法大師ご来錫の砌、村里に貧しい夫婦あり。愛しき児がお大師さまのご祈祷施法・お手あてのおかげで、一命が救われました。両親は深く感謝し心をこめて夫は松、妻は杉の枝をとり、一ぜんの箸を作り、お大師さまにささげました。やがてお大師さまは旅たちに際して、この浄地に箸をさして行かれ、後に不思議にも幹がマツ・枝葉がスギという珍しい霊木となりました。大師さまのお心、親の温情・夫婦和合のであります。



 A天狗杉根…元天然記念物
 樹齢一千百年  「礼拝門」下にある。 当山守護神軍善坊大権現(足腰の神)

               





 B大念珠…元天然記念物の槙(まき)の木。樹齢一千年
  方丈の大念珠。長さ120m、重さ250kg。方丈・宝生殿・書院を通し掛けられている。
   (注)世界一の大念珠   「現地説明板」
長さ120m、重さ250kg。この念珠は当山本堂脇にあった樹齢1千年目通り3mの槙の木1本から作られております。
  ・珠数1、112個。
  ・大珠2個  真言教主大日如来、御本尊薬師如来
  ・中大珠2個 薬師如来両脇仏 日光菩薩、月光菩薩
  ・中珠28個 薬師十二神将 般若十六善神
  ・並珠1080個 輪廻転生の十界に人間の持つ百八の煩悩を加えた数。
この大念珠は夏の大祭、百万遍の行事に使うものであります。大祭には金堂をこの念珠で取り巻き、多くの方々の心と声と力を合わせ大念珠を回し無病息災・除災招福、そして世界平和を願うものであります。  

(7)句碑・詩碑
 @ 十湖」翁の句碑        「現地説明板」
  遠州の生んだ俳人松島十湖先生は、教育者・政治家として数々の功績を残されましたが、晩年は俳諧の道に入りその門人は全国に2万人を超えました。一生報徳の精神を普及され、その徳望は深く郷土の人々に慕われています。
    次の句は翁がこのところで詠まれたものです。
        「行く秋も只にこやかな仏かな」
(注)2、松島十湖(1849〜1926)





 A村松梢風(1889〜1961)詩碑

    「水深魚極楽 林茂鳥知帰」
   (水深くして魚極めて楽しむ 林茂りて鳥帰るを知る)
  この句は、中国唐代の詩人「杜甫」(712〜770)の詩の一節である。
   「易識浮世理 難教一物違 水深魚極楽 林茂鳥知帰
    衰老甘貧病 栄華有是非 秋風吹机杖 不厭北山薇」
(注)3,杜甫
(注)4,村松梢風



(8)伝説
 @「瑠璃の滝」…境内の油の滝 
 行基菩薩がここの滝の水を汲み、孝謙天皇に献じたところ、天皇の眼病が治癒したといわれる滝。
 ○ 「瑠璃の滝」 御本尊薬師如来様  「現地説明板」
  今から凡そ千二百年の昔、孝謙天皇御眼病の砌、行基菩薩に勅ありて御平癒を祈らせ給ふたのであります。菩薩勅命を奉じ薬師瑠璃光如来に御祈願なされ油の滝水を加持祈祷し、これを献上いたしました。帝その清浄水で御眼を洗わせ給ひしに、効験忽ちにして御全快遊ばされたのであります。その頃このお滝の水が油であったと申します。このお滝にうたれて眼病に悩む多くの人々が全快の喜び得られ、又頭の病いの方もこのお滝にうたれますと、全治すると申します。一人静かにこのお滝の音を聞いていますと、遠い昔が思い出されて有り難い感じがします。
 ○ 「天井白龍の画」  「現地説明板」
   昭和48年山主本四国八十八ヶ所霊場托鉢修行の折、第廿一番札所太龍寺山中にて雷鳴とどろく嵐に遭う。渓谷より渦を巻き上昇する白雲を正に天に昇る白龍の如く体感、天井の画とする。白龍の左につかむ(マニ宝珠)は幸運の珠であり、中の梵字 (ア字)は万物の根源をあらわす。右三本の爪は、人間の持つ三毒(貪・瞋・痴、むさぼり・怒り・おろかさ)を取り除くことを示す。 
 御滝不動明王様をお参りし、心身共に清浄にして心やすらぎを得て下さい。                                            合掌
   「ありがたや浮動の前に
             とるこりは作りし
                  罪を流す滝つぼ」                                           



 A「照姫椿」…薬師堂前
    花が落ちるとき、桜の花のように花弁が一枚一枚落ちる。(普通椿は花ごと落ちる)
○照姫伝説
 3000年ほど前、京都に中納言藤原宗成卿の娘に照姫がいた。母を亡くして姫は悲しみのあまり、目が悪くなってしまった。油山に参詣すれば治ると聞き、胡坐山に祈願した所、少しづつよくなった。 照姫は目が良くなったお礼と、母の菩提を弔うために尼となったが、17歳の若さで亡くなった。 この頃、照姫の妹の露姫が油山寺を訪ねたが、丁度その日は照姫の「初7日」で、露姫の夢の中に照姫が現れ、自分の魂が椿に宿っていると伝えた。照姫の話を聞いた父の中納言宗成卿は油山寺を訪ねて、荒れ果てた「三重塔」を見て、姫の供養にと三重塔を修理した。

(9)その他
 @栄西禅師像    山門北西の高台 「現地説明板」
 禅師は建久2年(1191)中国よりお茶の種3粒を持ち帰り、九州博多と背振山、栂尾山の明恵上人に送られ。それぞれお茶の起源となりました。 静岡県はお茶の産地であるため、禅師の功績を称え。茶業の繁栄を祈り、「喫茶養生記」と「茶の種」を携えた姿の高さ33尺の大尊像であります。
(注)5,栄西
(注)6、明恵
(注)7、「喫茶養生記」と「興禅護国論」




 A金龍弁財天  「現地説明板」
 弁天さまは、古代インドに水の女神として生まれ、経典には弁財天を信じ、一心に祈る者には弁舌・才智を与え、寿命を永らえ諸々の財宝を与えると説かれています。
 当油山寺の弁天さまは、元文年間(1736〜41)に日本三大弁財天の一つ芸州(安芸の国=現広島県の西部)の厳島から勧請(かんじょう)お迎えし、昔から学芸・財宝・長寿又美容の神さまとして深く信仰されています。
 弁天さな御真言
「オンソラソバティエイソワカ」   
 ご縁日  毎月 巳の日
             合掌
 B日切地蔵菩薩   「現地説明板」
   御真言 「オンカカガビサンマイエソワカ」
  日を切って一心に念願すれば、その日まで霊験利益を垂れ玉う。大悲のみ仏であります。 経文に「安忍不動なること大地の如く、静慮深密なること秘蔵の如し」
 故に地蔵と称すと。亦日々朝夕信者の念願に応じ、六道に苦しむ一切の衆生を悉く、能化救済し玉う、大悲の善薩なるが故に、一名を「六道能化尊」と申し上げます。   合掌
                   
 C西国丗三観音・天徳霊神  ご案内 「現地説明板」
  藤見橋をわたり、月見坂を登ると、三十三観音と見晴台に天徳霊神がお祀りしてあります。天徳さまは、浜松市青屋の出身で、俗名を長谷川台吉と申し、常に敬神崇祖の念に厚く、日本国中の霊山聖地の神仏を順拝され、特に大和の大峯、木曽の御嶽山、出羽三山の大先達として、数々の霊験を現し、天徳霊神の尊称を賜りました。 生前に深く油山寺を信仰され、山頂に霊神碑を建立し、末代永く人々の念願を救う、ご誓願であります。
 春は桜に、深山ツツジ、夏は青葉にホトトギス、秋は紅葉に明月と四季それぞれの美しい霊山をご参拝ご利益をいただいてください。

D大祭
 ○新年修正会(正月7日間)
 ★)修正会(しゅしょうえ)…寺院で正月元日から3日間あるいは7日間、国家の隆昌を祈る法会。日本では768年(神護景雲2)に始まる。
 ○星祭中日大祭(1月15日古札お焚上げ)
 ★星祭…密教で除災・求福のため「当年星」または「本命星」(ほんみょうしょう)を祭ること。本命星とは,九星の中でその人の生まれた年に中央に配置される星。
 ○厄除開運星祭祈祷(寒中一ヶ月修法)
 ○春彼岸会法要(3月春分の日)
 ○弘法大師祭お茶祭(4月21日)
 ○お茶祭(茶祖栄西禅師5月5日)
 ○百万遍念仏大般若経転読(8月第一日曜日)
 ★百万遍念仏…念仏を100万回称えること。京都知恩寺8世善阿が流行病をなおすため7日間100万遍の念仏を称え、効験があったので後醍醐天皇から百万遍の寺号と1080珠の大念珠を賜った。この故事にならったもの。
 ★転読(てんどく)…声を出して経文(経典)を読む。(読誦=どくじゅ)