3 各寺院案内
〜(2)松秀寺から永江院〜
 遠州七福神めぐり

 1 七福神の由来

 2 七福神の概略

 3 各寺院案内
  
 (1)極楽寺から福王寺
  @実谷山 極楽寺
  A八幡山 法雲寺
  B風祭山 福王寺

 (2)松秀寺から永江院
  C龍冨山 松秀寺
  D法王山 官長寺
  E海岸山 増船寺
  F和光山 永江院

 ※参考にした本等
 C龍冨山松秀寺…弁財天霊場
      袋井市浅羽町富里453 電話038−23−3079
 ◎宗 派;曹洞宗
 ◎ご本尊:地蔵菩薩(行基作)
 ◎秘 仏:薬師如来
  ※遠州三十三観音霊場 第十六番札所
 ◎沿革
  文亀元年(1501)大易正甫大和尚の創建。山号・寺号の由来は寺院草創時に老松が竜神池(弁天池)を覆い、その姿が龍に似ていることから「龍冨山」とされ、老松をめでて「松秀寺」と名付けられた。慶長2年(1597)徳川家康公より朱印12石拝領。本尊地蔵菩薩は行基(668〜749)の作。その昔、福田地先の海岸に漂着したものを、村人達が拾い上げて路傍の仏堂に祀ったものであると伝えられる。合祀する文珠菩薩・瑠璃光如来は平安時代の作で、平治の乱(1159)に敗れ、落ちのびて来た源義朝(1123〜60)を謀殺した長田忠致(生没年不詳)の子孫が、この辺りの百姓に身を変えて移り住み、一族の念持仏として崇敬していたものであった。
 十一面観音は、明治維新の折、松秀寺に奉安されたものである。明治初期に建立された本堂は、可睡斎に売却された(現在の可睡斎本堂)。再建された本堂も昭和19年(1944)東南海地震で倒壊し、現在の本堂は戦後に再建されたものである。
 秘仏の薬師如来は、12年に一度寅年にご開帳されるが前回は、平成10年(1998)であった。平成12年(2000)は松秀寺開創500年にあたり、池の修理整備がなされた。
本堂

 ◎見どころ
 ◆山門…寛永年間(1324〜42)建立。扁額「龍冨山」は名僧・古渓和尚(1523〜97)の書。

 ◆東照薬師如来
 かつて、東照山平福寺に祀られていたが、廃寺となり松秀寺に合祀され、松秀寺飛び地境内に祀られていたもので、その堂宇は後鳥羽天皇(1180〜1239在位1183〜98)の創建と伝えられる。その後、足利義満(1358〜1408)が復興し、更に徳川家康(1542〜1616)が再興したといわれる。家康が浜松城主の頃、磐田の近くに御殿と呼ぶ狩り場があったが、よく狩りに来ては、この東照薬師如来に祈願され、特に「東照」の名称が気に入り、後に「東照君」と呼ばれるようになった。
  願書には一、息災長久 一、心中取願 一、眼病平癒
     右の願成就 堂建立仕候也 慶長2年丙年吉日
                  内大臣家康
    「あきらかに ひがしをてらす おんちかい
          そのいをわれに ゆずりたまわれ」
  家康は天下統一後、江戸増上寺や浅草摩利支天で、出開帳を行っていた。
 ◎石仏…山門横の小堂に数体
  元禄6年(1693)の銘のあるものあり。「朝観音」と称し、朝早く参拝すると足や腰の痛みに霊験あらたかと伝えられる。

 ◎弁天池の睡蓮…6月中旬〜8月の午前中が見頃



 D法王山官長寺…恵比須尊天霊場
     御前崎市浜岡町佐倉566 電話0537−86−2444
 ◎宗 派:曹洞宗
 ◎ご本尊:延命地蔵菩薩
 ◎沿 革
 万治3年(1660)齢山堯嘉禅師の開創。もともと道元禅師(1200〜53)の開かれた曹洞宗は釈迦牟尼を本尊と崇める「正法の仏法」といわれるように、地蔵尊を本尊として崇めることは少ないという。こうした宗旨から考えると、創建は室町時代かそれ以前に伽藍造立があり、栄枯盛衰の果て、万治3年齢山堯嘉禅師が、この霊跡に留錫(りゅうしゃく=行脚中の僧が、一時的に他の寺院に留まること)し、寺運を再興して禅宗に改宗したと思われる。開山以来、現在26世を数えるが、寛政7年(1796)の火災で文献資料等悉く焼失した。しかし、広大な境内のいたる所に、多くの遺跡を留めた証が現存している。
 
山門 本堂

 ◎見どころ
  ◆七福神絵図(八福神図)
 女性の酌婦が七福神に酒を勧めているめずらしく貴重な図柄で、作者・作成年代等は不祥。
  ◆達磨大師の図…白隠禅師(1685〜1768)作
  ◆大ソテツ…樹齢凡そ300年
 
(注)3、白隠


 E海岸山増船寺…毘沙門天霊場
    御前崎市御前崎町白羽305−1 電話0548−63−2374
 ◎宗 派:曹洞宗
 ◎ご本尊:釈迦牟尼仏
 ◎文化財:地蔵菩薩
 ◎沿 革
  宝徳2年(1450)創建の真言宗嵯峨御所大覚寺の法を嗣ぐ寺院で、もと蔵泉寺と称していたが、その後戦乱の中で寺運の衰退を見たが、文禄2年(1593)袋井龍巣院7世玄室龍頓大和尚は、由緒あるこの寺院の衰滅を惜しみ、近郷の人々の篤い帰依を受け、堂宇を再興して曹洞宗に改宗した。
  寛文6年(1666)4世住持・山蒼簡沢大和尚の時、この地に住む漁夫の安全・幸福を願って増船寺と改称した。9世大宗和尚の時、小松原の地から海岸に近い現住地に移った。
 
山門 本堂

 ◎見どころ
  ◆円山応挙(1733〜95)の幽霊画
  落款なく作者不明。昭和3年(1929)宮地直一博士の鑑定により応挙作と考えられるとの事。本堂横に複製を展示。
  ◆一休禅師(1394〜1481)の書
   「落花一葉雨」
  ◆借景庭園…書院の裏

 (注)4、円山応挙
 (注)5,一休


 F和光山永江院(ようこういん)…布袋尊霊場
      掛川市下垂木4111 電話0537−22−2917
 ◎宗 派:曹洞宗
 ◎ご本尊:釈迦牟尼仏
 ◎秘 仏:文珠菩薩
  ※遠州三十三観音霊場 第六番札所
 ◎沿 革
  延徳元年(1489)以翼長佑禅師により、営まれた龍穴庵に始まる。永正15年(1518)4世雪窓鳳積和尚の代に、現在の山号寺号である和光山永江院と改称した。慶長8年(1603)、天明8年(1788)と度重なる火災で堂宇は焼失。現在の本堂は寛政4年(1792)に再建されたものである。この本堂は安政地震にも倒壊せず今日に至っている。
 
本堂

 ◎見どころ
  ◆山門…切妻四脚門
  明治35年(1902)31世金優和尚の再建。梁の上に嵌め込まれた「龍の彫刻」(伝左甚五郎作)は山内対馬神一豊の寄進したもの。文禄2年(1593)に寄進された山門は、安政地震で倒壊したが龍の彫刻は無事で、再建時に改めて彫刻を門に嵌め込んだ。
 
山門 竜の彫刻

 ※龍にまつわる逸話
  当時この龍が門前の泉池に水を呑みに出かけるので、近所の人々は恐れて周囲に金網を張り、出られないようにしたという。
 
  ◆山岡鉄舟の襖書…鉄舟が永江院滞在の折、記念に書いた四枚通しの襖書。