(12)嶺松山省光寺
(1)見付宿について
(2)東福山西光寺
(3)西木戸跡と姫街道入口
(4)一ノ谷中世墳墓群遺跡
(5)西坂の梅塚
(6)本立山玄妙寺
(7)大梅山慈恩寺
(8)見付学校
(9)磐田文庫
(10)淡海国玉神社
(11)旧見付宿脇本陣大三河屋門
(12)嶺松山省光寺
(13)日照山大見寺
(14)珠玉山宣光寺
(15)矢奈比売神社
(16)愛宕神社と阿多古山一里塚
(17)遠州鈴ヶ森
(18)松光山慶岩寺
(19)今浦山金剛寺
(20)瑞雲山見性寺
(21)旧赤松家
(22)風祭山福王寺
※磐田市の観光パンフレット

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 嶺松山省光寺   現地説明板
本堂
 @宗派  時宗
 A本尊 阿弥陀如来
 B沿革  建立年代は不詳。古くは真言宗。後に時宗に改宗しました。中興開山六代住職・慈海和尚が足利氏一族の出身で足利幕府の時代には、将軍義詮(よしあきら=尊氏の子・1330〜67)大変栄えました。「御所道場」の称号を受けていたと寺伝にあります。朱印48石。
  明治五年(1872)に学制が発布され、見付学校の開校にあたっては、本校舎として使用され、毎日授業が行われていました。また、大正年間には、見付技芸学校にも使われ、教育史の上で重要な役割を果たした寺院です。
 
 C文化財
  ○鐘楼門…釣鐘堂と山門を兼ねた建物で、市内には三ヶ寺にしかないめずらしい形式の山門です。  昭和九年改築
  ○阿弥陀如来像 一体…鎌倉時代作と寺伝にあるも、未調査。
  ○阿弥陀如来画像…阿弥陀三尊画像の仏画が伝えられている。製作年代は室町時代と伝えられている。
  ○イチョウ樹…本堂前に樹齢二〜三〇〇年前と推定されている老木がある。
    平成十八年三月      磐田市教育委員会
鐘楼門 大イチョウ

※ 「天萬地蔵」(秘仏)について

地蔵堂の建物は南向き、厨子前に同じ大きさの前立。子授け・安産・子育てに御利益。南北朝の争乱の時、足利尊氏(1305〜58、将軍在職1338〜58)は、三男を出家させ、戦死者を供養させた。父・尊氏の念持仏を授けられた省光寺六世慈海和尚は、見付の東の丘陵地に堂を建て、そこに地蔵尊を安置した。
堂のあった辺りが、省光寺の寺領で「天萬」といおう場所(現在の富士見町付近)であったため、「天萬地蔵」といわれた。江戸時代中期に天萬の地から省光寺境内に移されたが、かつては省光寺の門前にあった。
天萬地蔵


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